『真・女神転生IV FINAL 』皆殺しルートエンディングの理由を考察

アトラス
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始めに

 『真・女神転生IV FINAL 』皆殺しルートエンディングを考察していきます。

  • 役割期待から逃れるルートが皆殺しルート
  • ダグザ同様、眼差しから逃れようとする

コンテンツ

結論

 主人公が皆殺しルートへと進んだ理由は明らかにはされていませんが、ダグザの思想に共感したことから進むルートであることを考えると、それは『ペルソナ』シリーズでも描かれるような、公共圏の中で期待される役割に対する倦怠が、その理由ではないでしょうか。

 太宰治『人間失格』、うしとらの秋葉流のような感じで、英雄としてのペルソナに疲れた主人公が、むしろ孤独で絶対的な神として他者から役割を期待されることなく生きることを選ぶようになる様が描かれていると解釈できます。メガテン3のムスビルート(自己完結。究極の個人主義)のような感じの気がします。

ダグザの思想

  ダグザは、人間が畏敬を抱いた自然現象であることの自覚が強く、観測の力で定義された「ダグザ」という存在であることを拒絶していたのでした。つまり、神として期待される役割との不一致に苦しみ、その神性から解放されたく思っていたのでした。
 唯一神から脱する点で多神連合と一致するものの、神であるという定義を捨てようとするダグザとは目的が違います。

 なのでダグザルートである皆殺しルートでは旧宇宙の縁が消失し、「ダーナの主神ダグザ」という定義が失われ、自然現象に回帰します。また絆ルートでも、ダヌーがダグザを再誕させた上で倒す、という別の形でナナシらによってその目的は果たされます。

観測の力

 観測の力は人間のみが持つ「存在を定義する力」です。

 唯一神は、この力で観測された全てを掌握下に置くことで支配しています。数多の自然の脅威や災厄、奇跡や救いを観測、認識できるようになったことで信仰が形成され、神々や悪魔が生まれました。人間が望めばその方向性を変容させることも可能で、神々や悪魔はその力を自分の望む通りに向けさせようとします。

 ダグザは観測の力で定義される神としての自身のあり方に違和感を覚え、逃れようとしたのでした

皆殺しルートとニュートラルルート

 絆ルートも皆殺しルートも従来のニュートラルルートのバリエーションとして位置付けられています。

 ニュートラルルートは秩序や自由など、特定のイデオロギーに立脚するのではなく、中庸としてデザインされています。中庸というのは、確たるイデオロギーを持たない、ということでもあります。

 皆殺しルートがニュートラルルートであるのは、それがなんのイデオロギーや思想に立脚するわけでもなく、ただ自己絶対化を図るルートであるからです。既存の秩序や権利、正義に支配されることなく、ひたすらに自己を絶対化する主人公を描いています。

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